プライベート
元日の日記にも書いたが、初日の出は自宅の窓から見た。今年の正月はお天気に恵まれて、日の出の見られる日が多い。昨夜の天気予報でも、今日は朝から好天と言うことなので、鹿島灘まで日の出見物に行くことにする。
この時期、鹿島灘の日の出は6:50頃。家から鉾田町の大竹海岸までは2時間弱行けるはずなので4:45に家を出る。この時間はさすがに走っている車は少ない。鹿島神宮付近まで約1時間で到着、スタジアム周辺はバイパスが整備されすっかり様変わりしている。大竹海岸到着6:20、あたりは少しずつ明るくなってくる。
駐車場には車が数台、どうやら同じく日の出を見に来ている人たちらしい。既に海岸に向かってカメラを構えて居る人もいる。車を降りて海岸におり撮影ポイントを定める。だんだん空が明るくなってくる。水平線近くには雲がかかっているが、次第に空が赤く染まってくる。朝日の写真を撮るのは初めてなので上手く撮れるだろうか、と不安になる。
デジカメとフィルムのカメラを持参した。デジカメの方はひどい失敗をしていればすぐにわかるので安心ではある。日の出前から太陽の顔を出す瞬間、少し日が昇ってからそれぞれ露出を少しずつ変えて何枚か撮影した。帰宅して画像をパソコンに転送して表示してみる。会心の出来とは言えないが、初回としては良しとしよう。
午後から近所の「自然観察の森」へ行く。冬の午後の弱々しい太陽が低く差し込む雑木林の中、落ち葉を踏みしめて歩くのはまた格別気持ちがよい。
プライベート
今日は成人の日で、3連休の最終日。昨年、九州からの帰りに使った「青春18きっぷ」1回分を使って出かけることにする。日帰りにちょうど良い距離で「ローカル線らしさ」が味わえるところ、ということで水郡線で郡山まで行くことにする。常磐線・水戸と東北本線・郡山の間を結ぶローカル線、車両は近代化された新型のディーゼル車だが沿線風景は、懐かしいローカル線そのもの。しかも途中、茨城・福島県境のあたりで標高約300mの峠を越えるので、登り坂でのエンジン音がまたたまらない。
水戸から約3時間かけて昼過ぎに郡山に着く。途中の沿線に雪は殆ど無かった。郡山駅近くの市街地をぶらぶらと散策し、手頃な喫茶店をみつけ昼食にする。今日は成人の日ということで、駅前や周辺に晴着を着た新成人の姿がみられる。帰りの列車まで少し時間があるのでバスに市役所まで乗車し、そこから街を歩きだす。遠くに見える雪をかぶった山は磐梯山か、それともその手前の山か?
別のバス停からバスで駅まで戻り、駅前にある市立ふれあい科学館の展望室に登る。科学館の展示室とシアターは有料だが展望台は無料で入場できる。今日は晴天で22階からは郡山の市内、郊外が一望できる。鉄道模型のジオラマがあり、200円で模型の列車を運転できる。こういうのはそれほど珍しくないが、運転をするコントローラーがなかなか凄かった。なんと本物の電車の運転席の装置をまるごと利用している。メーターやコントローラー類はもちろん、運転席の椅子、時刻表立てと中に入っている運転士用の時刻表まで全て本物というこだわりようだ。それもそのはず、計器パネルには「協力:JR東日本郡山工場」のプレートが。
郡山ふれあい科学館: http://www.spacepark.city.koriyama.fukushima.jp/index.html
今回は帰りも同じルートで戻る。いつもは往き帰りでコースを変えて景色の変化を楽しむことが多いのだが、水郡線は往復乗っても飽きない。一駅停まる毎に郡山市内で休日を楽しんだ中高生たちが降りてゆく。やがて外は真っ暗になり、峠を登るエンジンの唸りを聞きながら、持参した文庫本を読む。こんな時間もまた楽しいもの。
仕事
今週の仕事は先週メーカーの人が来て修理していった装置を立ち上げる作業から。週末の間微弱な電流を流してアイドリング状態で安定化させておいた装置に、1日かけて1万ボルトの電圧をかける。アイドリング状態で2千ボルトがかかっているので、アースに対する電圧は1万2千ボルトになる。この電圧だと直接電極に触れなくても、体に触れた導体を接近させただけで誘導電流が流れて感電して命に関わる事態になる。
もちろん濡れた手で触るようなのは論外である。電圧を上げる作業にはプラスティックの高絶縁ドライバーを使い、それはほとんど危険がない。むしろ怖いのはIDカードとか携帯電話を首に掛けていると、前かがみになったときに落ちるといった事故らしい。修理に来た技術者の人が教えてくれたのは、そういった首に掛けた物に注意することのほか、作業をする際にドライバーは必ず右手に持ち、手首か二の腕をアースされたシャーシに押し当てること。こうすると万一なにかの異常でドライバーを持つ手先に高圧がかかっても心臓付近にに電流が流れ無いので命拾い出来るとのこと。さすが技術屋の世界には、いろいろ役に立つノウハウが伝わっているものだ。
仕事
上司からの頼まれ仕事で、測定関係のある講習会の実行委員というのをやっている。1年前から講習会の企画作り、会場選定、受講者募集方法の検討などで何回か会議に出て企画を進めるのが仕事。実際の事務や講師はそれそれ専門の担当者がいるので自分の仕事はは、会議で発言するほかは、講習当日の雑用程度でよいはずだった。昨年の秋から受講者を募集し、来週の月曜19日から講習が開催される。
それが、どうしたことか受講者はたくさん集まったが、実習の指導をするインストラクターが足りないという事態になって、実行委員にも動員がかかってしまった。今日事務局からテキストが届けられた。広い意味では自分の専門分野と関連した内容であるから、全く指導できないわけでは無いが、この講習で使うような機器類の操作などは、もう長いことやっていないので、毎日現場で作業をしている受講生の方が手慣れているということもあり得る。悪いお手本を示すようなことになってしまっても困る。幸い、日頃から実技指導に当たっている先生方と組んで受講生の対応をするような体制になっているので、難しい操作はそちらにお任せすることにして、こちらは受講生の作業をチェックして、基本的なところで困っている人にアドバイスする程度になるだろう。
プライベート
いよいよこのサイトの模様替えに着手することにする。いろいろ手を拡げすぎて、あちこち作りかけになっているが、完成までまだかなり時間がかかりそうなものは目次から降ろして、別に「将来構想」としてまとめることにしようかと思う。
XREAサイトの位置づけがあいまいなので、どうするかもう少し考えてみよう。七堂伽藍トップはリニューアルが必要だろう。その下のページもasukanetにおいている「奈良」のサイト以外は手直しを考える必要があるだろう。あれこれ手をつけると混乱するので、順番を決めて一つづつ完成させる必要がある。隠れ家的なサイトと完全にオープンなコンテンツを上手く使い分ける方法を考えている。できれば今月限りでこのサイトでの日記を閉じて、2月からは別の場所に作ろうと思っている。昨年中の旅行の記録などは体裁を整えて一カ所に集める予定。いつになることだろう、、、
社会
今年は申(さる)年だから、と言う訳でもないだろうが「携帯を持った猿」というのが最近の流行語らしい。もちろん猿が携帯電話を使っている、などという話ではない。それとは逆で「携帯」を使いこなしている最近の若者たちが「猿的」になっているということらしい。
ニホンザルが、ボス(これは正しい表現ではないらしいが)を頂点にした群れを作って生活していることは良く知られている。このサルの群れは、大きな家族のような物で、通常、構成員は同じ群れの中のサルだけとコミュニケーションしていれば良い。いわば家族の中が全ての世界、ということである。
最近の若者は、駅や電車の中で平気で座り込んだりするなど、公共の場所と家の中の区別が付かない様な行動をする者が散見される。その原因として社会学者やジャーナリストたちは核家族化、少子化などの影響のあることを指摘している。携帯電話という近代的コミュニケーションの道具をもった21世紀の若者が、自分の回りにいる他人とコミュニケーションが出来なくなっているという。自分もいつの間にかこの様な「コミュニケーション不全」をおこしていないか、我が身を振り返ってみる必要があるようだ。
社会
ちょうど9年前、1995年1月17日に阪神淡路大震災が関西を襲った。9周年ということで、新聞やテレビでも様々な特集が組まれている。
この9年の間に建造物の耐震基準が見直され、あちこちで手直しの工事が行われた。しかしたとえば鉄道の高架橋の場合、工事中の高架下の商店の休業補償など複雑な問題があって工事の進ちょくははかばかしくないらしい。また東海地震などについて従来の被害想定が甘いのではないかという指摘もある様だ。
他に考えさせられる問題として、ハード面での対策は着々と進んでいるが、ソフト面ではまだ立ち後れが目立つ気がする。被災者の安否確認、そして被災者と行政の間の情報伝達の体制は万全だろうか?9年前と比べると携帯電話、インターネットなど情報関連技術の進歩は著しいが、いずれも「枯れていない」技術であり大災害時に予期しない事態が発生するかも知れない。(関係者は万全の対策を取っていると主張するだろうが、あくまでも「想定」に基づく対策であり、想定を超える事態が起きないとは言い切れないだろう。)
プライベート
冬の青春18きっぷ最後の旅行は「碓氷峠鉄道文化むら」に行くことにした。所在地は、群馬県松井田町、最寄駅は信越本線で高崎から30分ほどの横川駅。
信越本線はこの横川から軽井沢までの間、水平に1000m進むと高度が66.7m上るという日本の鉄道で最も急な勾配の区間。かつては機関車の歯車をレールとかみ合わせて坂を登り降りする「アプト式」が使われ、その後もこの区間だけは全ての列車に専用の機関車を付けないと登り降りできないという難所だった。長野オリンピックを翌年に控えた1997年10月に「長野行新幹線」開通に伴いこの区間の在来線は廃止された。
鉄道技術上も非常に貴重な歴史を持つ区間であることから、使用された専用機関車をはじめ様々な設備や関連する物品、資料を保存するべきである、ということで補助機関車用の機関区の建物をそのまま残して展示館とし、屋外には碓氷峠で使用された機関車、電車(特急「あさま号」)などが現役当時に近い姿で保存されている。そのほかにも日本の鉄道史上貴重な様々な車両が多数、良好な状態で保存されている。産業文化財の保存と言うことで注目に値する活動だと思う。実現にこぎ着けた関係者の努力に敬意を表したい。
記念館としてアトラクション性をもたせるため、軽便鉄道サイズ(在来線の約2/3サイズ)のSL列車やコンピューター制御全自動運転の16mmゲージ鉄道模型の運転なども用意されている。
碓氷峠鉄道文化むら 公式サイトhttp://www.usuitouge.com/bunkamura/
仕事
14日の日記に書いた「講習会」が今日から始まる。引き受けてしまった以上は、担当する受講者の方になるべく多くを身につけて帰ってもらいたいので、テキストで実習の手順をよく確認しておく。
午前中は教室での講義、実習の説明というよりも基礎的な理論に関する内容が中心。したがって直接実習での操作には関係しない話が多いが、基本を再確認する意味もあるので念のため講義にも出席しておく。ほとんどは既知の内容だが、説明の仕方など参考になることも多い。
午後から実習になる。実習担当の講師は普段から学生の指導をしている方なので、さすがに説明がうまい。限られた時間での実習なので、本来必要な基本操作を省略しなければならない部分もある。受講生がその意味を正しく理解してくれればいいのだが、「いつもこれで良い」と思ってしまわないか心配になる。全ての受講生が何とか時間内に予定の操作を終了してくれた。
仕事
今日が講習会の第2日。午前中の講義も少し専門的な内容になる。入門コースとしてはやや高度な内容もあるので、すぐに日常の仕事に使えなくても、いつか役に立つ内容だと思う。今日講義をする3人の講師のうち1人は私の元上司だった人。上司といっても直上ではなくもう1つ上の役職だったので、直接話す機会はあまり多くなかったが、色々教わることは多かった。
今日も午後は実習になる。直前にテキストの手順を変更して当日配布したプリントに従って作業をしたため、一部受講生にも戸惑いがあった。それでもなんとか予定の作業は無事終了する。
今日は実習終了後に交流会。やはり参加者からは「最終的に何を求められているか」をはっきり示してほしいという要望が出た。特に自分で何をすればよいか判断できる中級以上の受講者には、細かに修正点を説明するより、それを先に伝えた方が良かったようだ。反省会で申し送りして次回の改善事項として貰おう。
講習会は3日間なので明日もあるが、自分の担当は今日で終わり。引き受けたときはかなり不安もあったが、なんとか無事に終えて自分自身、色々と学ぶことが多かった。